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new.K

Author:new.K
2009年7月直腸癌宣告
⇒放射線治療後10月手術。
2012年4月肝転移宣告
⇒FOLFOX後12月手術。
そして2014年1月腹膜播種の宣告を受ける。
4/1草津総合病院にて手術を受け、永久ストーマになるもなんとか命を繋いでいただきました。
感染症と戦闘後草津を退院し、現在抗癌剤治療中。
草津でFOLFOXを1回実施後、池田病院にてXELOXに変更したが、オキサリプラチンのアレルギー反応にて断念、IRISに変更するも肉芽皮膚転移より効果が出ていないことより中止。
そしてVB&FOLFIRIに変更。
副作用にて食欲ダウン⇨体重ダウンでヘロヘロとなり業務継続不能なるも在宅高カロリー対応でなんとか継続投与していたが、腸に孔が開き投与中断。
現在ストーマ再建の為、草津にて入院・検査・静養中。

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手術前夜

今日は前日ということもあり、色々。
オリーブ油でのおへその掃除。
入浴。
輸血用の点滴針挿入。
ストーマの位置決め。
主治医の家族説明。
等々。

そしてさっき妻がホテルに戻って行った。
面会時間ギリギリ(と言うかちょっとオーバー)まで居てもらった。

先生はお腹を開けてみないとわからないとのこと。
どんな状況が待っているのだろうか?

僕は最善の結果を信じて挑むのみ。
まだまだ生きて人生楽しみたいからね!

明日AM9:00 手術。
頑張るぞっ!!
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主治医面談

昨晩主治医の先生に30分程時間をいただき、手術のこと等色々不明だった点をお話させていただくことができた。
楽観的に考えればどうか?厳しい状況を踏まえるとどうか?
そしてそれらはお腹を開けてみないと正直わからないということも。
でも色々差しで話ができてよかった。忙しいところ、しっかり時間をとっていただいたことは感謝。
そうそう、主治医の先生と僕は同い年だと聞かされた。
『僕とnew.Kさんって同学年。全くの同級生』って。
『先生は激務なのに体調は全く問題ないですか?』と聞くと、
『ヘルニア持ちなんだよね』って(笑)

厳しい状況のお話は正直打ちのめされる程ではあったけど、考えても仕方のないこと。
そもそも播種と宣告された段階で以前の病院からはさじを投げられたわけで、ここに僅かな望みをつなぎに来たまでのこと。
そう考えるしかない。
今は良いイメージを想い、リラックスして当日を迎えればと思っている。
あと先生と僕の運命に委ねたい。

手術日 前倒し決定

腸閉塞の状況が思わしくない中、手術日が決定しました。
手術日は4/1(火)、場所は草津総合病院。
本来腸閉塞をクリアし、その後抗癌剤を再開し手術が基本だと思うのですが、以下経緯により上記手術日となりました。

現病院(これまで癌治療を行ってきた病院)に3/8(土)に腸閉塞で入院し、イレウスチューブでの処置を行ってきたが、症状的に改善があまり見られない(イレウスチューブでの貫通が未だ未)。
3/13(木)夕方に主治医グループの医師(主治医は不在)2名と今後どうするか?について、説明とこちらの意志確認があった。
『もしこのままこちらでの処置を望む場合、抗癌剤対応を始めることになる。但し、播種による腸閉塞の状況がこのままなら飲食はこのままNGで、ポート対応による栄養剤投与にて進めることになる。』
それって抗癌剤対応による症状の改善がみられないうちは飲食できないことか聞くと、『そういうことです』との回答。
ってことは場合によっては一生飲み食いできないってことじゃないか?!
そんな酷なことってあるか?
『向うでの手術を望むのであれば、腸閉塞は手術対応になるだろうから、それなら早く転院した
方が良い。転院を望むならすぐに紹介状を書くが、どうする?』とのこと。

上記経緯より紹介状をお願いし、話が終了後即勝谷さんにTELし最短の草津での米村先生診察日を確認し、3/15(土)にかみさんに紹介状を持って草津に出向いて貰い、米村先生にセカンドオピニオン扱い(患者本人がいないとこうなるとのこと)で紹介状より診察いただき、腹膜播種&腸閉塞の手術日が4/1と決まった。
転院日時等詳細は両病院の転院担当間で話して決まるとのことなので、まだ未定だが来週中には想定以上に早く、またイレウスチューブ入りの状況にての草津入りになると思う。
入院してから飲食はしていないし、その前からあまり飲食できていない状況から体重も大分落ちているし体力的に不安はあるが、本日から歩いたりベッド上ストレッチだったりを始めて少しでも体力向上を図る予定。
とにかく予定より早い手術だが前向きに捉えて、頑張りたいと思う!

再確認 - これまでの経緯3 -

自分でも優柔不断だと思う。
けれどこれは命に係わることなので、セカンドオピニオンの結果を携え、これまでお世話になった大学病院の主治医にもう一度診察をお願いした。
方向は手術をする方向で考えているが、リスクも聞いた。だから正直迷ってる。直前で手術を辞める方もいるらしい。
今後向うで治療を行うことにするが、手術前に戻っても受け入れていただけるか?
手術後、例えば肝臓再発や肺転移などの場合は受け入れていただけるか?
虫の良い話かもしれないが正直に色々聞いてみた。
主治医の先生はこれまでにないくらいきちんと話を聞いてくれたように思う(これまではここまでしっかり話ができてなかった気がして、なんだか嬉しかった)。
向うで手術をした予後のことは正直受けられないとのこと。方針が違うし、何をしたかわからないから。それ以外であればいつでも受け入れるとも言ってくれた。

さぁ、決めなければ!…やっぱり手術だよな!!

手術可能 - これまでの経緯2 -

1/22の腹膜播種⇒手術不可⇒余命というネガティブループな自分だったが、かみさんがネットで米村先生の存在を見つけ、2/22の池田病院での診察を予約してくれた。
かみさんから『手術できるところあるみたいだよ』と聞き、自分でも米村先生や手術についてネット検索を始めた。
手術ができる≒完治可能!
これはこれで凄いと思ったが、逆に大手術であるが故のリスク、今後何があってもこれまでかかっていた病院はもちろん他院でも受け入れてもらえない的な情報も目に入り、これはこれで悩んだ。
家族のこと、仕事のこと、手術可否のいずれが最も延命できるのだろうか?
ほぼ5年間お世話になった通い可能な大学病院では手術できない。
手術できるのは関西。関西に親戚等はいない⇒予後なにかあった場合、関西は遠い。
やっぱりこちらで抗癌剤投与した方が良いのでは?
そんな思いが交錯する中、2/12の診察時にこれまでの主治医の先生に『セカンドオピニオンを受けようと思っている』と言うと、『わかった。すぐに準備する』を即答。
米村先生と池田病院の名を言うと、米村先生のことはご存知のようだったが、やはり方針が違うとのことだった。
2/18に紹介状とPET等の画像データを受け取り、2/22いよいよ池田病院へ。

朝7時半頃家を出て、箱根を越えて池田病院へは9時前着。
この頃は既にお腹が張って、なかなか動作が始まらず、もっと早く到着するつもりがこの時間に。
番号は確か40番後半だったような?
これまでずっと大学病院にお世話になってきた身としては、初めて訪れた池田病院は予想していた以上にレトロな感じでした。
すぐに呼ばれたので、『おっ!』と思ったが、別の待合室に通されただけで、そこには米村先生の診察を待つ方々が大勢。しばらくして最前列のリクライニングチェアが確保できたので、呼ばれるまでそこでうたたね。時折TV前をいいことに朝ドラや大河を見て時間をつぶしたり、採血に呼ばれたり。
診察は確か15時前辺りだったと思う。
初めての米村先生。
紹介状や画像を見られ、『ちょっと横になって』と張りつつある腹をさわり『ここ痛い?ここやな?』みたいなことを言いながら確認された後、『画像で確認できる癌が3つある。一番大きいのが2.5cmくらいかな?手術で取りましょう』とあっさり。
『しばらくIRIS(TS-1+イリノテカン)して5月くらいに手術しましょう。IRIS聞かなければ、手術は早めましょう』的な感じで診察が終わり、詳細は隣のNPO法人と相談するようにとのことで診察室を出た。
そうそう、部屋を出る前に腹膜関連の資料を出し、『今の主治医の名前は?』と聞かれ答えると、資料の表紙裏に名前を記載し、『これ渡してあげて』的なことを言われ手渡された。
その後、隣の部屋にいらっしゃる勝谷さんとお話させていただき、手術は確かにリスクは伴うこと、評判等様々なお話しをこちらの質問にもお答えいただきながら、聞かせていただいた。
ただ一番印象に残った言葉としては、『抗癌剤では治らない。でも手術なら治る。』
何だかかんだで1.5H近くお話させていただいたと記憶している。
その後、IRISは次回からだと思っていたら、早速イリノテカンの投与とのことで、点滴終了が20時近くになり、TS-1も受け取り、結局帰宅は22時近くとなった。

結局色々迷いながらも、当日イリノテカン投与を受けたことも、気持ちはやはり手術だったのだろう。
とは言え、その時点でもまだ迷いは消えてはいない状態のままなのだが。
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